当山は天正年間(1573〜1591)に、武田信玄の家臣・高坂弾正虎綱(とらつな)の寄騎(よりき)、加藤杢右エ門(かとうもくえもん)が松代町・明徳寺( 長野市松代町
)の三世 (いがんけいゆう)和尚を招き開創されました。
寛政11(1799)年に建立された山門は、小布施町の文化財(町宝)に指定されています。大正9(1920)年から15(1926)年にかけて再建された本堂は、名工三田清助(さんたせいすけ。
小布施町 東町、(1885〜1940)の手になるものであり、国文学者の高野辰之博士により昭和初期の国定教科書に紹介されました。
文政年間(1818〜1829)には、良寛と親交のあった儒者・亀田鵬齋(ほうさい)など文人墨客がたびたび来山し、多くの書画を残しました。その後も、曹洞宗の宗祖・道元禅師が教えた禅のこころを、日々の営みの中で人々に伝え弘めるとともに、「苗市・境内アート」や「坐禅会」「観音講」「梅花講」を催し、また武道場を、青少年を対象にした剣道、空手道などの道場として開放し、地域に開かれた寺として歩んでいます。
また近年では、北信濃十三仏霊場の第二番札所として、本尊清涼寺様式釈迦如来を参拝する人々を迎えています。さらに、隣接する寺有林を「どんぐり千年の森」と命名し、落葉広葉樹林を整備しつつ、地域住民の憩いの場、あるいは自然環境の学習の場となるよう構想を練っています。
もの想うとき、迷えるときだけでなく、悠久のときを秘めた伽藍(がらん)建築と豊かな自然は、あらゆる人をやさしく迎え入れ、こころを和ませてくれます。 |